紡ぎだされる物語(セカイ)。
自由奔放に、揺らぐ自分を楽しむ。
猫のように生きていけたらいいなぁ
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ご無沙汰してます、栖依です。
今日からイベントです。
少し前からスタッフとして携わっておりまして、
ここ数週間はほんとに、仕事仕事で苦い思いをしておりました。
終わってみて思い返すと、自業自得であったり、横着した結果面倒になっていたり、
という状態なのですが。
いろいろ教えてもらえました
いろいろ気づきました
でも眼前の問題として、卒論放置したのはよくなかったかな。
どうしてこんなに、時間をつぶすように
イベントスタッフだバイトだサークルだと入れてしまうのかと、
実は結構考えていました。
なかなか答えにはたどり着かなかったけれど。
ほんとは、気づきたくなかっただけ。
純粋に、何かに対して努力している人が
うらやましくてうらやましくてしょうがなくて。
自分がそれをしようと思うと、大きな阻害要因があって。
その阻害要因から逃げて逃げて逃げているのだと、認めます。
その純粋さやまっすぐさは、栖依にはないもの、だから。
やりたいことほどダメだといわれて、
努力するべきもの、達成するべきラインを提示されて
できたら「あ、そう。じゃあ次」
できなかったら「なんでこんなものもできないの?」
自分で認識している以上に、これとこれへの恐怖が染みついているみたい。
しかもそのハードルが決して低くなく、
相応に時間をかけないと達成できないというところが味噌。
実際、勉強以外、あまりしてこなかったんだなぁ、大学入るまで。
だから無条件に好きなことをやらせてもらえて、
親がそれに対してしぶしぶながらも支援してくれて、
な人を見るとときどきどうしようもなく憎くなる。
恨んではないよ。
その人は何も悪くないもの。
ただ、焦がれすぎてどうしようもなくて、
その感情が憎さとすごく近似しているだけ。
だから憎いという言葉も適切ではない。ほんとは。
自分で稼ぐようになって、家から出たら、
この憎さからも、臆病さからも抜け出す努力ができるようになるのだろうか
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